静岡鉄道清水市内線の歴史紹介

1.年表

1928年 江尻新道(今の新清水)〜港橋間開業
1929年 江尻新道(仮駅)〜横砂開業
1933年 江尻跨線橋(専用軌道)竣工
港橋〜横砂直通運転開始(清水市内線に改称
1946年 清水市内線が軌道線として独立                                          
1951年 西久保〜袖師間、専用軌道に移設
1974年 77日の七夕豪雨により清水市内線 運休
1975年 320日をもって全線廃止

2.どのような鉄道だったか?

静岡清水市内線は長く清水市民に親しまれてきた路線でした。

昭和3年に江尻新道〜港橋間が開業し、昭和4年には横砂まで線路が延びましたが、江尻新道駅まで線路をつなぐには東海道本線をこえなければならず、
開業後
4年にわたって江尻新道の駅で踏み
切りを渡らざるをえない状況が続きました。
その後、静岡電気鉄道(現在の静岡鉄道)が自費で東海道本線をまたぐ(清水橋)をつくり、昭和8年清水市内線は全線のレールがつながったのでした。

この際、将来道路併用橋にもできるようにされており、昭和30年に路面軌道の両側に自動車道が作られ2002年に架け替えがされるまで多くの市民が利用しました。
昭和3年の開業以来、長く清水市民を乗せて活躍してきましたが、昭和49年の七夕豪雨により休止に追い込まれ、復旧できないまま翌年廃止されてしまいました。

その理由には、豪雨によって横砂までの専用軌道の途中にある庵原川を渡っていた鉄橋の橋脚が大破してしまったことと、当日長沼工場に入場し、検査を受けていたモハ65を除いた全車両が浸水し、復旧不可能になったことが挙げられました。そのほかの背景には、やはり車社会の到来や、採算が取れていなかったこともあったといわれています。

廃止に当たっては、廃止される320日に新清水駅構内にてモハ65を用いた花電車が展示されました。



3.車両紹介


2010年 3月 フェルケール博物館屋外展示場にて

七夕豪雨の際に、清水市内線で運用していた車両のうち長沼工場に入場していたといわれるモハ65を除いて、全車浸水し、復旧できずに解体されてしまいました。

唯一解体を免れたモハ65は、清水港湾資料館(現:フェルケール博物館)に保存され、
20年ほど前から現在の150号線沿いに保存展示され、清水の路面電車の歴史を伝える唯一の生き証人として、当時を今に伝えていました
しかし、2010年6月に老朽化が進行し、維持できなくなり、解体されることが決まってしまいました。

当会が3月より博物館と交渉を重ね、一時は譲渡していただくのを断念せざるを得ない状況となりましたが、
ジェール貨物北陸ロジスティクス様や金沢市電2202保存会様のご協力により、博物館よりジェイアール貨物北陸ロジスティクス様に譲渡が決まりました。

現在は富山県伏木ヤードに保管していただいています。
今後、当保存会が修復を行い、将来的には清水に戻し、恒久的な保存を目指しています。

モハ65諸元紹介

大正11年製造 西武鉄道杉並線で活躍

昭和11年   清水市内線にモハ80型として移籍

昭和30年代  モハ80型から65型に改造(改造最終車)

        改造当初は青と白のカラーをまとっていたが

        昭和40年代に都電に似た白と赤帯に塗装された

昭和50年   市内線廃止に伴い廃車→清水港湾資料館で保存される

最大長 12100mm  自重 19.5トン

最大幅 2400mm   定員 80

最大高 4160mm



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